理解りみ深し君

理解りみの深いブログ

【シャニマス】雲の下を歩く【小説】

 三峰結華は悪夢を見た。
 同じユニットのアイドルである、幽谷霧子の首を両手で絞めて殺す夢である。
 目覚めると全身が汗ばんでおり、呼吸を止めていたのか息が苦しい。心臓も早鐘を鳴らしている。
 梅雨が明けて間もない時期であり、最近は暑さから寝苦しい日が続いていた。
 きっと悪夢もこの寝苦しさから見せられたものだろう。彼女はベッドからおりると、一時間で電源が切れるようタイマーを設定したあと、エアコンの電源ボタンを押下した。
 冷たい空気が吹き出されるのを確認してから、部屋を一度出て、キッチンへと向かった。喉の乾きを潤すためだ。
 家族を起こさないように、照明を点けずに、抜き足差し脚で手で壁を伝いながらゆっくりと歩いていく。
 その間、結華の頭の中では、自分に首を絞められて息苦しそうにもがく霧子の姿と、こちらをみつめて嘲笑する彼女の姿が交互に繰り返し再上映されていた。
 キッチンに辿り着き、冷蔵庫の中の麦茶をコップに注いで一息で呷る。
 冷たい液体が喉を伝って食道を冷やしていくと、嫌な気分が少しリフレッシュされた気がした。
 (きりりんのこと、やっぱりわたしは憎んでるのかな)
 結華は三ヶ月前に、後を追うように、幽谷霧子が先週ソロデビューを果たした。
 結華はつい数時間前に、霧子のソロCDが自分のものよりも既に二倍近い売上枚数を叩き出しているだという速報をネットでキャッチしていた。
 ユニット内で人気に格差があることは結華も承知していたが、それが数字として視認化されたことに激しい動揺を覚えたのも、また事実である。
 単純にCDの売り出し方に問題があるのだと開き直るという選択肢もあるはずだが、彼女はその着想に至らない。ただこの事態を、自身の力量不足であると深刻に受け止めていた。
 普段は飄々とした態度を演じている彼女だが、その実、人一倍に生真面目な性格をしているのだ。
 この先、順次他のユニットメンバー達もソロデビューする予定が組まれている。
 その度にこんな気持ちにさせられるのかと思うと結華は嫌になった。

 翌朝、彼女は寝不足を感じたままで仕事へと赴いた。日曜日のため学校は休みだが、この日は午前中から夕方にかけて同じユニットメンバーの白瀬咲耶冠番組のロケコーナーの収録があった。
 ロケ地が都内から離れており、移動は事務所が借りるミニバスを使う。その為、朝の八時に事務所に集合という形になっていた。
 八時二十分前に事務所のオフィスビルに到着し、まず、二階の事務室に顔を出す。
 ソファーに座ってニュース番組を視聴している先客は本日の撮影で共演者となる咲耶だった。他には誰も居ない。
 結華が所属している、283(ツバサ)プロという芸能事務所は決して大きな会社ではない。従業員も少なければ、オフィスも狭いので、事務室はリクライニングスペースも兼ねているのである。
 事務員のデスクであると同時に、所属アイドルたちが寛げる憩いの場所でもあるのだ。
 二人とも今日の衣装は自前である。結華は白地にパステルカラーのカラフルな模様の入った夏らしいワンピース。咲耶はスキニーな白いパンツに、黒字に小さな白い鳩が無数に描かれた笑いを誘うTシャツだった。
 結華はソファーの傍らに着替えなどの荷物が入ったボストンバッグを置いて、咲耶の隣に腰かける。
「おはよー。あれれ、Pたんは?」
「やあ、結華。プロデューサーなら車を取りにいっているよ。…おや、どうしたんだい。顔色が優れないようだけど。今日は少しお疲れのようだね。昨晩の暑さにでもやられたのかな」
「あらら、わかっちゃう? ちょっと、昨夜は変な夢見ちゃってさー」
「へぇ、どんな夢だったんだい?」
「あのね。それがさー、…」
 夢の内容を話そうとしたところで、結華は口をつぐんだ。
「ううん、なんでもない。いまの忘れて」
「…本当に、なんでもないのかい?」
 心配そうな顔が結華を覗き込む。凛々しい咲耶の眉が力無く下がっているのを見ると、結華はどうしても仔犬を連想してしまう。
 仔犬モードになった咲耶は思いやりが在らぬ方向へ暴走しがちで、結華たちの所属するユニット、L'Antica(アンティーカ)きってのトラブルメーカーとも言える。
 悪戯好きのメンバーである田中摩美々は頻繁に周囲を困らせているが、限度というものを弁えている。
 しかし、暴走のはじまった咲耶は止まる所を知らない。過去にそれでユニットの解散危機まで追い込まれた前歴があるのだ。
 結華は背中に冷たいものを感じながら、なるべく平静を装いながら話題を摩り替える。
「ホントになんでもないから。それより、その面白いTシャツ、ラジオでゲスト出演したときにまのっちから貰った奴でしょ。着てきたんだー」
「これかい。ふふっ、折角貰ったものだからね。普段着る機会にはなかなか恵まれないから、こういう時にお披露目した方がファンの皆も喜ぶと思ったんだ」
「うんうん。流石さくやん。ファン心理をガッチリ掴んでるねえ。いいよ、いいよー」
「そういう結華は、夏らしい格好だね。季節を先取りした良いファッションだ」
「良いっしょ、このワンピース! 一目惚れして買ったんだあ。今日が初披露なの」
「そうなのかい。とても似合っているよ」
 嬉しそうに振る舞う結華を見て、咲耶はいつもの王子様スマイルを浮かべる。
 それを確認した結華は、内心でなんとか話を誤魔化せたことに安堵する。
 その後も、普段通りに二人の楽しいお喋りは続く。その間も垂れ流しにされていたテレビが天気予報で今日の深夜から明日の朝にかけて雨が降ると伝えていた。
 結華は内心で事務所に常備している予備の傘を持っていくべきか迷ったが、荷物がこれ以上かさ張ることを嫌って、持っていかないことを決めた。
 あっという間に時間は過ぎ、車をビルの前に寄せたプロデューサーから咲耶スマートフォンに電話が掛かってくる。
「プロデューサーが到着したようだよ。行こうか」
 ミニバスのトランクに荷物を置いて、咲耶と一番後部の座席に乗り込むと、結華は運転席に座るプロデューサーに声をかけた。
「おはよー。今日は運転よろしくね、Pたん」
 任せろという、頼もしい台詞が欠伸混じりで返ってくる。
 隣り合う二人は、『大丈夫かな』という、胸によぎった心配をアイコンタクトで共有し、笑った。
 バスは途中で数ヵ所かに停車し、何人かのスタッフを拾う。
 後は目的地に向かうだけという段になったのを確認してから、失礼なことは承知の上で結華は他の同乗者に許しを請うて、アイマスクを着用し移動中に仮眠を取ることにした。
 今日ロケで一部コーナーを収録する彼女たちの冠番組は、深夜に放映されるゆるりとしたバラエティー番組で、脚本はあってないようなものだった。
 なんでも、製作サイドにアイドルたちの新鮮な反応を提供したいという意向があるようなのだ。
 重要な指示はカンペが出るし、入念な打ち合わせも必要ないので、移動中に休憩を取っても問題はない。それに、スタッフの何人かは既に黙って眠りこくっている。
 許可を貰ったのは、彼女の生真面目や性格が起因となる、礼儀正しくしないといけないという義務感から来る行動だった。
 アイマスクの着用時、劇画タッチの涙を流すイラストの描かれたデザインで笑いが取れたので、結華は内心でご満悦だった。人を楽しませることこそが、彼女の本懐なのだ。
 暗闇の世界の中で、彼女は一人になった。
すごく眠いはずなのに、神経が尖っていて寝れない。
 今まではこんなことがなかった。どんなに緊張していても、眠いときはきちんと睡眠は取れていた。
 精神の根本がふてぶてしいのだと結華自身も呆れていたものだ。
 そんな自分が今、まともに眠れなくなっている。
 知人たちが自分を抜いて会話をしているのを聴いていると、なんだか透明人間になったみたいだった。

 ロケの収録は筒がなく終了した。
 お疲れ様でしたという、締めの言葉は形骸的なもので、それはただこの仕事に一区切りを入れるための号令のようなものだった。
 この後に打ち上げなんてあるわけではなく、結華や咲耶にも、そしてプロデューサーやスタッフたちにも、次の仕事がある。
 ふと結華は、たった十分程度だけ放送される映像を撮るのに、何人もの人間が数時間束縛されて、早起きまで強いられているという状況に疑念を抱いた。
 その瞬間、どうしようない徒労感がどっと胸に押し寄せてきた。
 (一体なんのために、わたしは頑張っているんだろう?)
 苦労して行っているアイドル活動の総てが無駄ではないかという、虚しい考えに支配されてしまった。
 これだけ肉体的、ないしは精神的に苛烈なスケジュールを強いられているというのに、これでは"損得勘定が合わない”ではないか。
 元より、結華はその足でライブ会場へ訪れるほどのアイドル好きであった。偶像として崇めていただけでなく、その姿に憧憬も抱いていた。
 憧れていた舞台に立たせて貰っているという、その事実だけで夢心地であった筈なのに、今はアイドルでいるということがこんなにも辛い。
 きっと、疲れているのだ。
 ずっと我武者羅に走ってきた分のつけが回ってきている。
 最近、ソロ活動も増えて、根を詰めすぎている。
 きちんと休めば、直ぐにもとに戻る。気丈で、明るくて、陽気な三峰結華が帰ってくる。
 そう、三峰は大丈夫。
 ――果たして、本当にそうなのだろうか。
 否が応でも、脳裏で昨夜の悪夢がフラッシュバックされる。嘲笑に口の端を上げる霧子の表情。そして、激昂した自分がこの手で犯してしまう罪。
 嫉妬している。と、結華は思う。
 嫉妬の炎に苦しまされていると。
 そう、思う。
「やはり、今日は顔色が優れないね、結華。今日はこの後にライブのリハーサルなんだろう。帰りのバスはゆっくり休むと良い」
 ミニバスへの移動中、咲耶はまた仔犬モードで結華の顔を覗き込んだ。
「ごめんね、さくやん。実は今日すこし頭が痛くて。お言葉に甘えて、帰りも夢の世界へ旅立たせて貰うよ」

 帰りのバスでも、一睡もできなかった。耳にはいる総ての囁きが悪口に聞こえて仕様がなかったのだ。
 ソロライブのリハーサルに赴いたはいいが、気分は最悪であった。
 念願のソロ初ライブである筈なのに、期待感よりも無力感がどんどん膨らんでいく。
 スタッフ達に、敗者である自分のサポート役をして貰っていることに申し訳が立たないという気持ちも生じていた。
 それは、一種の被害妄想だろう。
 スタッフたちに蔑むような批判的な目を向けられるないかと、結華は内心でヒヤヒヤしている。
 ファーストライブまでは、せめて誇らしい気持ちを維持していたかった。
 勝手な言い分だと自覚しながらも、霧子のソロCDデビューをこんなタイミングにぶつけてきた、プロデューサーやレーベルの社員たちを恨んだ。
 売上のことを考えれば考えるほど、憂鬱な気持ちが肥大化していくのを内臓で感じる。
 自分が気を利かせて、この場を盛り上げなくてはいけないと分かっていても、上手く笑えそうにない。どうしても、気分が高揚してくれないのだ。
 皮肉なことに、気丈に振る舞おうとする程、どんどん気は重たくなるばかりである。
 咲耶に頭痛があると仮病を申告した結華だが、嘘から出た誠というべきか、リハーサル中に少しずつ側頭部に疼くような痛みが出始めた。
 リハーサルはスムーズに進行し、確認すべき点は完璧に押さえられた。このまま直ぐに本番を迎えても問題は無さそうだねと、スタッフからも安堵の声もチラホラ上がる。
 それでもその日は、リハーサルが終わると結華はスタッフたちと談笑の一つも交えず、着替えを終えると逃げるようにスタジオを出た。
 今は誰とも話したくなかったのだ。
 胸に広がる黒々とした煙を今にも吐き出してしまいそうな予感がしたからである。

「ウソ、…もー、最悪じゃん」
 スタジオを出ると、雨が降っていた。
 どしゃ降りという訳ではなく、細い雨が風に揺らされながら霧を作っている。
 朝の予報ではもっと遅い時間に降るはずであった。どうやら、結華の傘を置いてきた判断は失敗だったようだ。
 仕方なく、最寄りのコンビニに寄ってビニール傘を買おうと歩きだしたその時、一つの考えが結華の頭に過った。
 あの傘なら、この鬱屈とした気分を覆してくれるかもしれない。
 一目みて購入を決断した、柄の可愛いビニール傘のことだ。
 別のお気に入りの傘を買って以来、事務所のロッカーに非常時用のスペアとして保管してある。
 デビューして間もないころに、プロデューサーにも自慢した思い入れのある傘だ。
 もしかすると、あの頃のフレッシュな気持ちを思い出す手助けをしてくれるかもしれない。加えて、結華はロッカーに鎮痛剤も常備しているので、頭痛も抑えられて一石二鳥とも言える。
 そう思い至ってからは早かった。
 幸いにも、このスタジオは歩いて十分程度の距離に事務所がある。
 結華は走った。雨が、肌やお気に入りのワンピースが濡れるのを感じながら、救いを求める一心で。

 事務所のビルに着くころには、ワンピースがぴったりと体に張り付いていた。雨脚は弱いようにみえたが、どうやら見た目以上に降水量が多かったようだ。
「くしゅんっ」
 ひとつ、くしゃみをしてから、結華は事務所へと続く階段の入り口でボストンバッグから取り出したタオルで、全身の水気を拭う。
 リハーサルで使用したタオルだったのと、湿気が上昇しているためか、饐えた匂いがツンと鼻をつく。
 (何をしているんだ、わたしは。これで、風邪でも引けば、正真正銘のバカだぞ)
 タオルで拭けど、拭けど、衣服から水は完全には抜けない。仕方ないので、事務所のロッカー室でジャージに着替えようと、気を取り直して階段を登る。
 ワンピースが肌に張り付く感触が気持ちが悪かった。心なしかタオルの匂いも移ってしまったようである。
 (ホント、最悪。こんなことなら、このワンピースは着てこなければ良かったな)
 大きな溜め息を吐いて、事務所入口の扉を開ける。
 すると、目の前にいま一番会いたくない人物の姿があった。
 幽谷霧子だ。
「きりりん…」
「あっ、結華ちゃん。お疲れ様。なんだか、久しぶりだね。今から帰るところ?」
 人懐っこい、無邪気な笑みを湛える霧子に、結華は戸惑った。彼女は真っ白なワンピースを纏っていた。
 霧子は本当に白いワンピースが似合う。それはもう、自分と比べ物にならないくらいに。
 結華はその気持ちを、賛辞として口にせずにはいられなかった。
「そのワンピース、すごく可愛いね。すごく似合ってる」
「そ、そうかな。有り難う。結華ちゃんも、今日はワンピースなんだ。すごく可愛いね。…あっ、よくみると動物さんが沢山いる。ふふっ」
「いいでしょ、お気に入りなんだ。でも、きりりんには負けちゃうな。すごくすごく、似合うんだもん、その白いワンピース」
「そ、そんなことないよ。よく着てるから、そういう風に錯覚しちゃうんじゃないかな。…あっ、結華ちゃん、この服濡れてるよ。外の雨そんなに強かったの」
「ううん、すこし濡れたかったの。そんな気分の日も、あるでしょ」
「もう、風邪引いちゃうよ。ふふっ、変な結華ちゃん」
 霧子のその笑みを目にした時、結華の中で何かがプツリと切れる音がした。
 ("嗚呼、好きな服を着ているだけなのに、どうしてこんな惨めな想いをしなくてはならないのだろう”)
 結華は無意識に叫んでいた。頭のなかは真っ白だった。
「わたしのこと、そうやって嗤ってるんでしょっ!」
「……えっ?」
「いつも、ヘラヘラ笑ってるばかりで、録に努力もしてない癖に。アイドルなんて、対して興味も無い癖にっ!」
 結華の中で発生していたフラストレーションが、一気にここで激情となって爆発した。
「そういうところホントにズルいよ、きりりんは!」
「ど、どうしたの、結華ちゃん。お、落ち着いて」
「落ち着いてるよっ、そうやって、また私をバカにして!」
 涙と鼻水が勝手にボロボロと溢れ出た。激情に触れて、感情のコントロールが全く利かなくなってしまっている。
 結華だって、本当は霧子が誰よりも頑張り屋なことを知っている。自分が吐いている罵倒が胸に突き刺さるほどに、優しく弱い心の持ち主であることも知っている。
 だというのに、結華は口から出る悲痛な叫びを止めることができない。
「わたしが、どれだけアイドルが好きか、知ってる癖に!」
 その台詞が口をついて出たとき、結華はハッとした。
 (そうだ、わたしは悔しかったんだ)
 胸を張って、ユニットメンバーの誰よりも情熱を持って好きなのだと言える、アイドルという媒体で負けてしまったことが。
 ずっと隣で一緒に頑張ってきた霧子に負けてしまったという事実が、結華には耐えきれないほど悔しい出来事だったのだ。
 素直な気持ちを認知したその時、やっと、結華は理性を取り戻した。
 (しまった。なにを口走っているのだ、わたしは!)
「ご、ごめん、きりりん…、わたし…」
 全身から血の気が引く思いで、結華は床を見つめていた状態から、顔をあげて霧子の表情を見遣ろうとした。
 その時、視界が白色に支配された。
 何事かと、結華が目を凝らすと、視界を突如ジャックした白色の正体は、霧子のワンピースの布地であった。
 どうやら顔を、胸元に引き寄せられたらしい。
 (今日はメガネをして来なくて良かった)
 結華はそんなことを思った。
「大丈夫だよ、…大丈夫だから」
 結華の顔を引き寄せる腕と、宥めるその声は震えていた。
 きっと、霧子は結華が何故激昂していたのかという事情はちっとも理解できていないだろう。
 それでも、長く共に歩んできた仲間が錯乱している姿に、霧子は胸を痛ませたに違いない。
 (ふかふかな、雲の中みたい)
 この胸のなかなら、今すぐにでも眠れそうだ。
 結華は暢気にもそんなことを思った。

 了